「依存症家族から」・Nさん

「依存症家族から」GAIA家族会 Nさん

長男の危険ドラッグによる依存症発覚は今から三年以上前になります。二〇一二年の五月頃に長男の様子がおかしくなりました。恐怖感、脅迫観念、極度の嫉妬心など、薬物摂取による精神異常の現象が起こり始めました。家族が知る頃にはすでに依存症は深く進行しているようです。同様に長男も六年も以前から軽い気分で始まり、危険ドラック乱用にまで進行していたことを、私たちは全く知らずにいたのです。「依存症は回復はするけれど、完治はしない。」「依存性は病気である。」「家族は本人から離れること」などのアドバイスを名古屋ダルク家族会から学びました。私たちは長男から距離を置き、本人の「底つき」を待つ日々が始まりました。家族は深い絶望感、哀しみ、怒り、苦しみと言うマイナスの感情に支配されていました。家族に笑顔は失われ、これから先の不安と緊張で押しつぶされてしまいそうな毎日を過ごしました。その後も長男の止まることのない薬物乱用による色々な事件が起こりました。やがて長男は「自力では止めたくても止められない。もうどうしようもない」という絶望の境地にまで追い込まれたのだと思います。また、ずっと見守ってくれた中学の親友からも「本気で何とかしろよ!」と背中を押されました。

危険ドラック使用発覚から半年後二〇一三年一月に三度目の精神病院入院を経て、依存症治療のために琉球ガイアに繋がることができました。私は入寮の日に沖縄まで同行しました。初めて見るガイアの印象は格別に嬉しいものではなく「ここで本当に回復できるのか?」という不安感の方が大きかったように記憶しています。それは私が本人の回復をまだ信じられていなかったからだと思います。帰りの便を待つ那覇空港では「どうして依存症になんかなってしまったの?」長男を沖縄において帰る寂しさなど色んな気持ちが重なって、一人涙が溢れて止まりませんでした。そしてガイア入寮後翌月から、大阪家族会に通い始めました。

初めて大阪家族会に参加したときは「なぜここに私が居るの?」と言う居心地の悪さを覚えました。

どこかでまだ長男の依存症を受け入れられていなかったからでしょうか。けれど月一度の家族会で学ぶ中で、徐々に自分自身も長男の依存症問題を前向きに考えられる姿勢が持てるようになりました。私自身が変わっていったのかと思います。家族会で学ぶ回復の道のりは本人と共に、家族の回復も同時に行われているように感じます。依存症の現実を受け止め「本人も家族も回復を信じることができる。」そう思えた時がほんとうの回復の始まりなのかも知れません。また沖縄という風土が生み出す安心感と、癒される時間も回復に役立っているのだと思います。沖縄には以前にも何度か出かけましたが、沖縄の人の温かさがとても印象に残っています。

長男を沖縄に送ってから早二年八ヶ月、ガイア入寮期間一年半、今現在は通所しながら沖縄で働き、自立自活した生活を送っています。一時は絶望の淵にあった家族に、今は笑顔が戻ってきています。本人も家族もこの依存症問題はとてつもなく大きな出来事でした。

まるで人生をひっくり返されたような衝撃です。父親はこの息子に対し、私以上に大きな責任を感じていたと思います。けれど今思うに長男の人生の中で、この依存症の壁はどうしても通らねばならない道であったように感じています。この事を境に長男は今まで抱えていた別の問題も正直に話せるようになりました。人としての成長がここ沖縄から始まっていけたのかなと。家族皆で長男の依存症を素直に肯定できる日が来るまで、家族も共に歩み続けたいと思います。

今まで長男を支えてくださった鈴木さん始めガイアの仲間やスタッフの皆さま、また沖縄で出会い支えてくださった多くの方たちに心からの感謝の気持ちをお伝えします。

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