『入寮という長い夏休み』・Yさん

Yさん

「入寮という長い夏休み」 Yさん

こんにちは。この原稿を書いている今沖縄は梅雨のまっただ中です。沖縄では糸満ハーリーという南部の伝統的な行事が終わると梅雨が明けるというのが昔から言われているそうで、毎年この時期になると早く夏がやって来ないかと週間天気ばかり見てしまいます。

梅雨は依存症者にとっても、もちろん普通の人にとっても嫌な時期でしょう。特に回復が始まったばかりの私は天気に左右される毎日でした。低気圧が接近してくると気圧の変化で頭が痛くなったり、腹が立ったり、妄想が出たりと大変でした。天気予報よりも先に台風の発生を感じたりしたこともあったかもしれません。

10代を薬物とアルコール漬けで過ごした私は長い期間シラフでいたことはありませんでした。何らか薬物のような精神に働きかけるような科学物質が脳に効いているのが逆に通常な状態になってしまっていました。その為、全ての処方薬も含める薬物を切ってしまった時の離脱は大変なものでした。特に切ってから3ヶ月ぐらいは眠れない日が続き、とても過敏な日々の連続でした。それまで処方薬でごまかしてきた自分の恨みや感情に向き合わなくてはならなくなりました。その時に助けになってくれたのが仲間です。

当時処方薬を切ったばかりの仲間や切った経験のある仲間がいたので、その人たちと苦しみを分かち合い、経験を分かち合ってもらい、その一番つらい時期を乗り越えることができました。このような初期段階においての離脱症状は一段落して次にやってきたのが長期離脱症状でした。この症状は1年半から2年近く続き、良くなったり悪くなったりの繰り返しの中でだんだんと楽になっていきました。

当時私はGAIAに入寮していましたが、毎日怒っていました。とにかく自分の周りで起る全てのことが気に入らないといった感じです。そのような中で仲間との距離の近い集団生活は苦痛以外の何ものでもありませんでした。唯一その苦しみから逃れることができたのはGAIAのスポーツプログラムでした。幸いな事に私はサーフィンに夢中になっていたので、具合が悪い時でもサーフィンをすれば楽になる事ができました。その他にも仲間とサウナに行ったり、ジムに行ったり、飲酒・薬物に対する欲求や日頃の過敏症からくる調子の悪さをそらす手段をGAIAで身につけることができました。現在でもこれらのものは私の趣味になり、飲まない使わない生き方を継続するうえで重要なアイテムとなっています。

GAIAの行事の中で一番の楽しみだったのが、本島北部に位置する、沖縄の方言で山原(ヤンバル)と呼ばれている場所への合宿です。ヤンバルは手つかずの自然が残っていて、希少野生動植物種に指定されているヤンバルクイナが生息する事で有名で、道路を走っていると運が良ければ遭遇することもあります。観光客も少なく小さな村しかなく他にあるのは森と海だけというロケーション、人目が気になる依存症の私は普段の人の多い那覇での生活から解放されるかけがえのない時間でした。多分他の仲間にとってもそうだったのでしょう。普段は険悪になっていた仲間とも仲良くでき、同じ問題をもっている仲間だから分かる共通の話を夜遅くまで語り合いました。

沖縄は年間を通して雨が多く、夏以外はほとんど雨が降っているというイメージです。本土の方からすると常夏の島沖縄で雨が多いのは意外ではないかと思います。冒頭でも話しましたが、気圧の変化に弱い依存症者にとってこれが大変なのです。なので、雨の少ない夏は私たちにとって待ち遠しい季節なのです。特に夏の北部は2泊では足りないくらい楽しく、炎天下の中でのパークゴルフ、滝壺に行ってターザンロープで飛び込んだり、夜はバーベキューでシラフとは思えないようなテンションではしゃいだり、最終日に施設に戻ったときには疲れきり、そのせいでイライラしてしまうこともありました。

沖縄の夏の風物詩として挙げられるのが台風です。台風はとても大きな低気圧なので、過敏症の私は遠くにあっても具合が悪くなり感じ取ることができました。しかし、台風が来るという事は波が大きくなるということで、波のあまり無い夏の時期には私たちにとっては一大イベントなのです。天気図から目が離せなくなり、天気予報をチェックし、満潮の時間が早ければそれが朝の4時でも起きて出かけました。そうして、最高の波に出会えたときの喜びは普段の生活の大変さもあったので、その分とても大きかったのです。考えてみると、薬を使って夜遊びして4時に帰ってくることはあっても、その時間に起きるような事はありませんでした。

このようにして、仲間と共に新しい趣味や行動によって少しずつ私の生活は変化していきました。もちろん回復するためには生活の変化や趣味だけでは成し得ないでしょう。ステップやミーティング、スポンサーシップなどのAAのプログラムなどが私にとって重要だったように思います。これらのものは現在でも私の生きる指針であり、基本的に病気であることは6年止めた今も変わることはないので、時として回復の道から外れてしまう事はありますが、これらの道具のお陰でなんとか飲まない使わない生き方を続けることができています。

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