「変えていく勇気」・GAIA 草野 卓也

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「変えていく勇気」琉球GAIA理事 草野 卓也

こんにちは スタッフの草野です。

今年の4月でスタッフとしての活動も7年目に入りました。

私生活でも以前はクスリ、酒、パチンコに費やしていた時間をスポーツジム、サーフィン、ミーティングなどに参加して過ごしています。

10年前、覚醒剤を止めることが出来ずに、親に助けを求め、沖縄まで来た私ですがガイア入寮当初は誰も今の姿を想像できる人はいなかったのではないでしょうか。

入寮後も再使用を繰り返し、好き勝手な行動、言動を繰り返してきた私に居場所を与えてくれた鈴木施設長をはじめとする各スタッフ、一緒に過ごしてくれた仲間たち、支えてくれた家族、その他関係者の方々には心から感謝しています。

今回は、その中でも一番長い時間、私の依存症に付き合ってくれた家族について書かせてもらいます。

数年前からステップを始め、その中で自分の過去を振り返る機会を与えられました。その中ではっきりしてきたことは、私の依存症という病気は小学生のころから始まっていたということです。その頃から家族のお金を盗んだりしていました。時には両親の預金通帳を持ち出して解約し、ゲームセンターで遊んだりもしていました。

中学生になると遊ぶ金欲しさに同級生から現金を脅し取り、パチンコに夢中になりました。この頃にはすでに、私と家族の間で交わされる会話はお金の無心か言い争いがほとんどだったと思います。

中学校を卒業後もパチンコが止まらず、高校もすぐに中退して働き始めましたが長続きは出来ませんでした。そんな中バイクの免許が欲しくなり費用を無心し、バイクまで購入してもらいましたが、そのお金は両方とも一度も親に返済した事はありません。そして、17才の時に覚せい剤を使いはじめ、増々お金が必要になった私はサラ金に手を出しました。あっという間に数社から借り入れし、返済できなくなるまで時間はかかりませんでした。自転車操業を繰り返し借金が数百万まで膨らんだところで家族に助けを求め尻拭いをしてもらいました。しかし、当然ではありますが、その後すぐ他の数社から借り入れ、同じことを繰り返してしまいました。それに家族には内緒にしていましたがサラ金以外にも借金があった為、状況は何も変わらず親の負担ばかりが増えていきました。その後、数年間務めていた仕事も覚醒剤の影響で辞めざる得なくなり、仕事を転々とする日々が続きました。

そんな中、親戚のとこで仕事をしている時に初めての逮捕がやってきました。これまで10年間クスリを使ってきましたが、この逮捕をきっかけに約7年間拘留生活を繰り返すことになります。2度目の受刑中に家族がリハビリ施設を探してくれて入寮を勧めてくれましたが、私は一切その気がなく出所後もすぐにクスリを使い続けていました。

2004年11月 沖縄のガイアに繋がるまでの25年程を簡単に書きましたが、その間家族は私の依存症と闘ってくれたと思います。誰にも相談できなかった時間も長かったことでしょうし、依存症という病気の知識も乏しく相当の苦しみだったことでしょう。それがガイアのプログラムに繋がって私と家族共に信用できる人が間に入り、時間をかけて様々な事を調整して貰う中で状況は徐々に好転していきました。

入寮してしばらくは、自分で家族に電話して色々な事を要求することは出来なくて、全てスタッフ任せでした。その後自分で電話できるようになっても家族の最後のきまり文句は「文一さんに確認してからね。」でした。しかし、これで不快感や怒りを覚えたことは有りませんでした。その方が結果的に全て上手く回ったのです。自分が依存症という病気を受け入れて、私と家族共に「今までと同じではダメなんだ。」という気持ちが深まっていきました。これは本当に大きな事です。

今では私もスタッフとしてガイア家族会に参加して色々な話を聞かせてもらっています。また自分の話をさせてもらうこともあります。私の体験談を聞いてまだ混乱している家族が少しでも笑ってくれて、気が楽になってくれた時は自分も幸いですし、私の家族に対しても罪滅ぼしになるような気がします。

最後までお読み頂きありがとうございました。

 

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